ご挨拶

「患者様に自分と同じ思いをさせたくない」といつも心に思いながら、治療にあたっています。

にい歯科子供のころに自分が行った歯医者さんで体験したくやしい思い出・・・それが私が歯科医師になることを決断したきっかけでした。

「自分が歯医者になれば、患者さんに同じ思いをさせずにすむ」

今もその思いがあるからこそ、当医院では、「患者さん一人一人に私どもの出来うる最善の診療を奉仕すること」を第一の信条として、治療にあたることができるのです。

“頼れるファミリードクター”として、虫歯などの一般歯科からインプラントや小児矯正・矯正治療・予防・ホワイトニングなど、幅広いご希望に対応できるようにしております。

ご自身やお子様の歯について、少しでもご心配がございましたら、お気軽に当院までお問い合わせください。

にい歯科・矯正歯科 新居 泰浩

歯医者になろうと思ったある出来事
○小学校のころ

私の父はいわゆる転勤族のサラリーマンでした(今もありがたいことにさせていただいておりますが)。そのため幼稚園は2か所、小学校は3校行くことになったのです。

僕が小学校2年生のとき、転校してから初めての忘れもしない夏休みの8月のある土曜日だったと思います。

朝10時ごろから歯がずきんずきんと痛みだしたのです。いわゆる疼くというのがこういうものかと思い知ることになりました。

そこで土曜日なので午前中のみ診療というのがそのころは普通でしたので急いで歯医者に出かけました。初めての歯科医院に一人で出かけたのです。

当時私には歳が離れた妹がまだ2歳と小さく母から一人で行くよう言われたためでした。

当時住んでいた父親の勤める社宅の最寄り駅であった西宮市の某駅に行く道の途中にある歯科医院に入ったのですが待合い室は一杯でした。入るときに時計をみたので確かなのですが11時20分すぎであるにもかかわらずまだ15人ぐらいの患者様がずらっといらっしゃいました。

受付にて「お願いします。初めてです。」とこわごわ言うとざわざわと何か奥で話声が聞こえやがて院長先生と思われる先生がでてこられました。

開口一番「ぼく、歯痛いの?。ごめんなごらんのとおりいーっぱいやから見られへんねん。どこかほかへ行って」といわれました。しかし、本当にずきず きと痛く子供ながら 明日は日曜日という恐怖感もあり、粘って「先生、お願いします。」と半泣きになりながら言いました。しかし、親の付き添いもなく不審な子供と思われたのか さらに不機嫌に「無理やなあ」と言われなすすべもなくその場で泣き出してしまったのです。もうお昼の12時に迫っており他を捜して行っても閉まっていると 容易に予想できたのです。待合い室のざわざわした雰囲気がいっぺんにシーンと物音ひとつしなくなり見守るという雰囲気になりました。うしろからもう一人の 先生もでてこられなんとかしてやったらという感じにもなってきました。

しかし結局 子供だけではどうしようもなくやむなくすごすごと帰ることになりました。

自分が歯磨きをちゃんとしていなかったのが一番悪いのでした。

でも痛くて手で顔を押さえて診て欲しいとお願いしても診てもらえないのってこんなのでホントなのだろうか???と子供ながら強く疑問に思いました。

いわゆる「磨いた」というのと「磨けた」というのがわかっていなかったという理屈が後に歯学部へ入学してからわかるのですが・・・。

その日以来 猛反省し、歯磨きは朝食をあまり食べないでも学校へ行く前に必ずやり夜も必死で磨きました。ただ、あの土曜日に歯科医院でみてもらえず追い返された悔しさは子供ながら「なんとかしなければ」という思いになり頭の中にこびりつくことになりました。

しばらくたったある日 四国の徳島から祖母がやってきました。

その時「あんたは将来、おとなになったら何になるの?」と聞かれて「わからないけど大学の先生になりたい」と答えました。でもあの歯医者での悔しさを祖母 につげると「じゃ、あんたがなったらいいやわ。おじいさんもやっていたぐらいやから大丈夫なれるわ。」と無責任なことを言ったのですが根が単純なのか本気 にしてしまったのです。

ですから今でも歯が痛いと手で顔を押えて来院される方を拝見させていただくとトラウマというのではないですができるだけ親切に自分がかつて悲しかった 思いだけは患者様にしていただかないようにとどこかでは必ず思いつつ治療にあたらせていただいております。

○中学生のころ

「歯医者にいつかはなる」とこころのどこかで思っているとはいえ父親が転勤族であったこともありあまり受験に関心もなく3校目の小学校を卒業後 家の近所 の一番近い中学校に入学しました。

入学してみると学校は勉強という雰囲気ではなく、塾に通うことになりました。今まで勉強をちゃんとしたことのなかった私 は水を吸うスポンジのように勉強していくことになりました。当時その塾はそんなに大きくなかったのですが最近ご指導いただいた数学の先生がちょくちょくテ レビにでてこられているのをみて懐かしく思っています。

そんな中学1年の最後の終業式を迎えた日のことです。なんとなく開放された気分でいた放課後担任の 先生に声をかけられました。「君はがんばっていますけど体育には手を抜いているのですか?」と。僕にはホントにそんな気はなかったのですが先生にはそんな 風に見えたのかもしれません。その後、中2からは体育委員というものになり、率先して体育の授業もがんばることにしました。そしてその先生からは、えらい体育まではりきっているね。」と言っていただけました。

歯のことでは虫歯が多かったことでご存じのように歯並びも悪くなり、また乳歯から永久歯への生え換わりがうまくいかなかったこともあり同級生からからかわれたりしていました。(大学入学後 矯正歯科治療をうけることになります。)

○高校生のころ

結局、家からまた近い高校に通うことになりました。

入学する年の3月野球部が甲子園に出場するということで学校が湧いていました。

次の年のセンバツも出場しました。理系の授業選択で担任に歯学部受験希望というと「本気?」というような感じでいわれました。

卒業生による進路オリエン テーションの機会がありましたが医歯系からは10年前に1人おられただけで最近卒業生の該当者がいなかったのです(その後、ご縁あってその方がお勤めに なった診療所に勤務させていただくことになります。)しかし、英語のいい先生に出会い勇気づけられてがんばることにしました。

その後、寝不足だったのか高 3になる少し手前、足に怪我をしてしまい長いこと松葉杖のお世話になりました。

本当にこの経験は辛いものでした。この経験もあって足のご不自由な方を街で見かけるといつも何かお手伝いできないかなと思って見てしまいます。また当院へ 時々車椅子の患者様が来院していただきますが、できるだけ気持ちよく治療やメインテナンスをうけていただきたいと強く心がけております。結局、このことも あって一浪ののち祖母のいる四国の徳島大学歯学部に入学することになりました。

○大学時代

厄介になるはずだった祖母が1年の間に叔父の手伝いをするために(叔母がなくなったため)関東に行ったためひとり暮らしが始まりました。

限られた仕送りでやりくりすること、掃除、洗濯、家事など自分でやらなければ誰もやってくれないことができるようになりいい経験をつむことができました。

中学時代は科学部というクラブ、高校時代は数学研究部にはいっていましたがすぐ脱落したのでこれを反省し入学と同時にサークル捜しがはじまりました。

例によって歯科研究会という堅そうな名前のサークルにはいることになりました。今では大所帯になっているようですが当時は全部で10人足らずというものでこじんまりしており1年目からいろいろとさせていただきました。

活動は夏休みになると幼稚園めぐりをして虫歯予防の人形劇をし、予防歯科の先生のご協力のもとフッ素塗布をするというものです。結構おおがかりな人形劇で最初はびっくりしましたが暑い中練習をして幼稚園に行くのですがほんとに楽しいものでした。

さて、大学生といえばアルバイトです。私もアルバイトに精を出しました。塾教師や家庭教師を数軒やるだけでは物足りず、一時はホテルのビアガーデン のウエ イター、マクドナルドの裏方さん、コカコーラさん、某通信社の選挙の世論調査員、広告代理店のアルバイト、引っ越し屋さん、結婚式場のビデオカメラ&編集 係などなどアルバイトを通していろいろな方、業種に接しさせていただきました。これらのアルバイトを通じての出会いは世間知らずの私にはとてもいい経験に なり仕事とは?サービスとは?を考えるとても機会を得ることができました。

○開業にむけて

いくつかのことを考えました。患者様ひとりひとりに私どもができる最善の治療を奉仕したい。またその方にとってどのような治療が一番いいかを相談しながら一緒に治療をすすめていきたいと思いました。

すなわち「いつでも、どこでも、だれでも、なんでも」これを目標にしてがんばっていこうと考えました。

また、治療だけでなく予防の大切さを知っていただきたいと強く思うようになりました。

そして最終的に患者様に写真やツールを使って笑顔で納得していただけることを目標にしました。

こうしてこうしたことを実行できる歯科医院をつくろうと2001年12月1日開院したのです。